授業のレポートそのままっす。つまり長いっす…。

ドンキホーテとセルバンテス

1、最初に、ドンキホーテとは
「ドンキホーテ」。とても有名で誰でも知っているこの人物。ドンキホーテなんてお店もあるし、スペインの本、と言われて大多数の人が思い浮かべるのも「ドンキホーテ」だと思います。世界史で受験したのですが、教科書にも当然、セルバンテスもドンキホーテも出ていました。
今回ドンキホーテを調べようと思ったのもやはりスペイン=ドンキホーテというのが一番に思いついたから…というのもありました。ドンキホーテとは?と聞かれて思い浮かぶイメージは、元気な老人が騎士道の夢を見て走りまわる…そんなかんじでありました。実際ドンキホーテと言って使われる言葉の意味は、騎士道精神、失敗を恐れず猪突猛進…そんな使われ方をしていると思うのです。ところが、実際本を読んだ事はないし、どんな話かというのは全く知らない事に気付きました。ギネスブックによると、世界最大のベストセラーは聖書であり、349の言語に訳されており、1815年〜1975年の160年間の間に印刷された数は25億冊といいます。なんとつぐ2番目にあげられるのはドンキホーテで75カ国で、四千の版を重ねているという大・ベストセラーの本なのです。
ところが、古典の名作であるというこの本を日本で完璧に読破した人…というとどうやらとても少ないらしいのです。実際まわりの人に聞いても「名前だけなら聞いたことがある」くらいの認知度であり、何冊か読んだドンキホーテについての批評本で、日本人の著作のものほとんどに、「ドンキホーテは難しい。よほどの研究者でもなければまず完読できないだろう」とか、「ページがなかなか進まない」など書いてあったのがとても印象に残りました。
ドンキホーテとは本当に面白くないのか?そんな本がなぜベストセラーになっているのか?
イメージとして形作られてしまっている、ドンキホーテの世界とは一体どんなものなのか?今回ドンキホーテとはどんな物語なのか、どんな背景で、どのような意味があるのか等を考えてみたいと思います。

■ ドンキホーテの時代
ドンキホーテが書かれた時代とは、どのようなものだったのでしょう。
ドンキホーテは、前編、後編とにわかれており、前編が出版されたのは17世紀の前半、1605年の1月でした。
セルバンテスの享年は1616年で、実はシェイクスピアと同年になくなった事になっています。
16世紀から17世紀にかけた時代は、スペイン黄金時代を築き上げ、そして衰退して行く…そんな時代でした。
セルバンテス自身、トルコを破ったレパントの海戦にて活躍していたのです。
"スペインが動けば世界が震える""太陽の没する事なき帝国"と言う形容は有名です。
レパントの海戦の勝利はまさに西欧社会から、イスラムの脅威を一掃した勝利であり、新旧を問わない「十字架の勝利」であったのです。キリスト教世界に栄光をもたらしたスペイン艦隊は以後アルマダ(無敵艦隊)として帝国の看板娘になるが、1588年、ネーデルランドの新教徒を公然と支援し始めたエリザベス一世に鉄槌を加えようとして派遣されたものの、神風が吹かず、みじめに敗退し、スペインは著しく制海権を弱める事になります。レパント海峡が栄光の海峡であったならば、イギリス海峡は恥辱の海峡でありました。フェリぺ二世の治世は、王位を継承した翌年の1575年に第1階の破産宣告を出すほど、からっぽの国庫とともにスタートしました。これは父王カルロス五世の借金に負うところが大きいのですが、つづく1575年と97年の2回の破産宣告はひとつは対宗教政策と、首都マドリード、エル・エスこリアル宮殿の建設によります。1555年、カルロス五世は引退前にルター派を承認します。その後トリエント公会議の最終決定でルター派を異端として断罪する事になったため、フェリペ二世のスペインはそれまでの行きがかりから言って、この反宗教改革の中心とならざるを得なかったのです。
お金は出て行く一方であり、銀行家達の返済にあてられてしまったため、新大陸からの金銀がスペインに流れる事もなかったのです。
1580年にはポルトガルを併合し、無敵艦隊は敗れはしたものの、2年後にはこれも再建され、まだスペインは依然として世界一の強国であったのですが、フェリペ3世の治世は悪徳官僚や小役人がでたり、1614年には三十万人ものモリスコ(改宗したモーロ人)が最終的に追放され、このためバレンシアとアラゴンの中産階級が没落します。金銀のかわりに銅貨が用いられ、不況とインフレに倒産が頻発し、乞食と盗賊が全土を横行するスペインへと変貌してきます。こうした世相を背景にセルバンテスは物語の筆をとることになったのです。

文学面ではどうだったのでしょう?16世紀というと、ルネサンスの真っ只中でした。スペインでルネサンス期の人物というと、セルバンテスはもちろん、宮廷絵画のベラスケス、カトリック絵画のエル・グレコが有名です。
ハムレットは、ドンキホーテとほぼ同時期に発表されました。
ところでドンキホーテに関する逸話で、このようなものがあります。ベンチでフェリペ3世が王宮の窓から外を見ると、1人の男が体をよじって膝を叩いて大笑いしている。それを見たフェリペ3世が、「あれは気が狂っているか、さもなくばドンキホーテを読んでいるかのどちらかだ。」といったそうです。実際確かめてみるとその男はドンキホーテを読んで大爆笑していた…というのです。それほど、ドンキホーテはいわゆる抱腹絶倒の物語だというわけなのです。
ドンキホーテのそもそもの土台は騎士道物語でした。当時騎士道小説というのはやはり好んで読まれていたようです。ドンキホーテはそういった騎士道物語のいわばパロディーとして世に出ました。当時の騎士道物語愛好家なら、ドンキホーテの失敗する場面など、パロディー化されている部分は、ああ、この部分か!とわかり大笑いができたというのです。(この部分は日本人で、現代人の私達に面白さがわからない…という理由の一つであるようです。)
ドンキホーテは物語の中で、スペインの騎士道物語の主人公である「アマディス・デ・ガウラ」を理想の騎士とし、彼を真似ています。そのような騎士道物語がよく読まれていたという背景がドンキホーテを当時としては異例の大ヒットに結びつけたのでしょう。その年の内に7版をかさね、イギリスや、フランスでも訳が出版されたのです。

2、セルバンテスとは?
では次にドンキホーテを産んだセルバンテスとはどのような人物だったのかを見ていきたいと思います。
セルバンテスの本名はミゲル・デ・セルバンテス・サベードラで、1547年10月9日の日曜日、アルカラ・デ・エナーレスという町のサンタ・マリア教会で洗礼を受けました。
彼の父親は売れない外科医だったらしく、スペイン各地を転々としていたようです。当時外科医というと、床屋に毛が生えたような存在(現在の床屋のシンボルである、赤と青のねじってあるようなあれは、動脈と静脈を現しているもので、当時床屋が外科医をかねていたとの表徴しています)で、社会的地位もあまりよくなかったようです。
セルバンテスがどういう教育を受けていたかなどは現在もはっきりはしていないようです。
その後17歳の頃、セビリアで劇作家ローぺ・デ・ベーガに影響され、劇作家を目指したと言います。21歳で彼はローマに渡ります。このあたりの事は空白が多く、研究者によるとある障害事件にからんでいて逃亡中だったという見方があるようです。ミゲル・デ・セルバンテスという同名の人物が障害事件で右腕を切断し、10年間の追放処分という欠席裁判の判決記録が残っているからであるからですが、彼が同一人物かどうか詳しい事は闇の中です。

セルバンテスがレパントの海戦で活躍したということはとても有名な話です。
軍人としての立身出世を夢見たセルバンテスはレパントの海戦で左腕を切断する事になってしまいますが、彼はこの事を名誉の傷と思い誇らしく思っていたようです。そしてレパントの海戦で総司令官であったフェリペ二世の異母弟、ナポリ総督セッサ公爵が彼の戦功をたたえ国王宛に推薦状を書いてもらいます。
ところがその帰りに不運な事にトルコの海賊に捕まり捕虜としてアルジェーで5年間を費やす事になります。
推薦状が返って仇になり、国家の有益人物と思われたセルバンテスは高い身代金を要求されてしまいます。
しかしこの捕虜時代はセルバンテスにとって輝かしい時代であるとも言えます。
彼は4度にわたり集団脱走の指揮をとり、いずれも失敗をしていますが、その都度首謀者である事を名乗り出て仲間をかばおうとする態度になかなか見所があると、普通なら処刑されるところを感服させた…といわれています。
この時代はかれにとって英雄的であり、高潔な精神を発揮している誇らしい時代であります。しかし、スペインに戻ったセルバンテスを待っていたものは転落の日々でありました。
兵士として5年、捕虜として5年の歳月は、長い歳月でありました。推薦状はもはや何の効力も発揮せず、与えられた仕事は使い走り程度のものでした。生活は苦しく、かといい作品の売れ行きもさっぱり。権力者に女を取り持ったり、女優に貢がせたり、異端の修道士の火刑をつかさどったり等で一家を養っていたようです。40歳で食料調達の仕事につきます。その後何度か投獄されたり、殺人事件の容疑者としての嫌疑がかかったり、あまり順風万班とは言えない生活を送っていました。
セルバンテスが58歳の時のドンキホーテのベストセラーはようやく掴んだ栄光の座であったのです。にも関わらず、版権を売り飛ばしてしまっていた彼の生活は苦しいままだったのです。
1614年、ドンキホーテの後編を執筆中であったセルバンテスの元に、偽作ドンキホーテが出版されると言うニュースが飛び込みました。この偽作については後程説明しますが、偽作の内容はセルバンテスに対して罵倒するような内容であるし、最後ドンキホーテは精神病院に入れられてしまうと言った屈辱的な内容でありました。
翌年の1615年、セルバンテスはドンキホーテの後編を発表します。贋作に対抗するため、筆のピッチを早めたとも言われています。贋作がなければ、ひょっとしたらドンキホーテは未完のまま終っていたかもしれません。
1616年の4月23日、セルバンテスはその生涯を終えたのです。

3、物語と登場人物。
では、ドンキホーテとはどう言った物語なのでしょうか。最初、図書館でドンキホーテの概略があったので見てみましたが、正直に驚きました。そのビデオの説明がそうだったのですが、私が最初に持った印象は「喜劇でなく悲劇だ」でした。本を実際読んでみると印象は変わったのですが。

では最初にドンキホーテに出てくる登場人物をみていきたいと思います。
ドンキホーテには細かくわけると1500名程登場人物が出てくるそうです。
● ドンキホーテ
主人公であるドンキホーテは、本名はアロンソ・キハーノと言います。年は大体50歳くらい(当時では老人という認識でよい)で、顔も体も痩せ干からびていたが、骨組みのがっしりした、恐ろしく早起きの、大の狩り好き…とされています。彼は郷士で、郷士という階級は特権階級ではあったものの、当時郷士と名乗る人物はスペイン中に溢れていて、税が免除されると言う点以外は庶民と対して変わらないと言った身分でした。
"名前は思い出したくないある村"が生まれ故郷となっています。このせいか、「ドンキホーテの故郷です」と名乗る村が随分あるようです。
アロンソ・キハーノは、本を読むのが大好きで、特に騎士道物語を好んでよく読みました。しかしあまりに本を読んでばかりいたのでとうとう狂ってしまい、自分も騎士道物語のように生きようと決心し、冒険に旅立つ…という人物であります。
● サンチョ・パンサ
ドンキホーテの物語に欠かせないのが従者であるサンチョ・パンサです。サンチョは典型的な田舎者として当初描かれています。外見は、手入れのしていない濃い顎鬚をはやしており、背は低いがおなかは立派に突き出している。夢は島の領主になることであり(当時普通の百姓が島の領主になるなんていうのはまずありえなく、ばかげた夢でありました。)、ドンキホーテの侠気に対しては常識を持った人物、主人の歯止め係り…として描かれていますが、やはるどこかずれています。彼は諺だけはくわしく、喋る時にも諺をやたら混ぜるのでドンキホーテも注意しています。
● ドゥルシネーア
ドゥルシネ−アとはいわばこの物語のヒロインです。世にも美しい姫君で、名をドゥルシネ−ア・エル・トボーソといいます。…ただひとつ、この姫はドンキホーテの空想の人物と言う事を忘れてはいけません。
遍歴の騎士には重い姫がいなくてはならないという思いから、姫を探すのですが、そんな女性がいない彼は隣町の美人娘、アルドンサ・ロレンソという百姓娘を思い姫に決めます。
● ロシナンテと灰毛ロバ
ドンキホーテとサンチョの旅にかかせないのがこの2匹です。
一方騎士の旅にロバというのはとても不ぞろいであり、ドンキホーテも最初サンチョがロバに乗って行く事を渋るのですが、いずれ無礼な騎士に出会ったときにその馬を取り上げればよいと考えロバと共にサンチョは旅立つ事になります。サンチョにとってこのロバは大事な存在になっていきます。彼が領主になったとき(これは事情があるのですが)も、立派な馬がいるのにも関わらず、ロバもちゃんと連れて行く事になります。
● 学士サンソン・カラスコと村の住職、床屋
これらの人物はドンキホーテと同じ村の人達で、ドンキホーテを正気に戻そうとする人物です。
彼らはなんとかドンキホーテに正気に戻って村で静かに暮らして欲しいと考え、何度か連れ戻そうとしています。
彼らはミコミコーナ国の女王を助けるなど嘘をついてドンキホーテを村に帰したり、森の騎士、そして銀月の騎士に変装して「私が勝てば条件を飲んでもらおう」といいドンキホーテに戦いを挑んだりします。
● ドンキホーテの家族
姪と、家政婦と暮らしています。彼女達もドンキホーテの変人ぶりにはあきれています。
● 公爵夫妻
後編において大きな役割を担っているのがこの公爵夫妻らです。彼らは本で読み知っていたドンキホーテ主従を、なんとかからかって物笑いの種にしようとします。(後編では前編の、ドンキホーテの物語は読まれているということになっています)そこでドンキホーテをあたかも本物の騎士のように扱い、サンチョを島の領主にしたりと、さまざまないたずらをして彼らをからかうのです。

また、ドンキホーテに関わる人物達で、治療者(カラスコたち)、からかって面白がる人達(公爵たち)、あきれる人達、そして惹かれる人たちなどに大まかに言えば分けられると思います。
緑色外套の紳士などは、ドンキホーテの機知あふれる言葉におもわず感服してしまいます(最もその後彼の行動にあっけにとられたりもしてしまうのですが)

4、物語とそのキーワード
■ 本の中の本
ドンキホーテは前編と後編に別れています。前編の大ヒットの後10年後に後編が出版されています。
変わったことに、後編では、すでに前編の物語は出版されて皆が読んでいるという設定になっています。みんながドンキホーテの物語を知っているのです。それによって公爵夫妻のように彼らをからかおうとする人物にでくわしたりします。ドンキホーテも自分の物語が出版されていると言う事を途中聞き知っており、「みんなが自分を知っている」と言う事を誇らしく思ったりしているのです。実際に彼は自分の物語を読もうとはしないのですが。
そして、一方本の作者なのですが、これはシーデ・ハメーテ・べネンヘ−リというモーロ人ら、数人にによってかかれていると言う事になっています。シーデ…のこの意味はおたんこなすという意味らしいです。
第三者がドンキホーテを書いている、そしてそれが1人というわけではない…そういう設定は当時珍しい事ではなかったようですが、ドンキホーテでは少し独特な形をとっています。第8章で、ビスカヤ人との決闘があるのですが、その両者が大刀をまっこうにふりかざし、今まさに…と言うシーンで、物語の第1の作者が、その先のドンキホーテに関する資料が見つからなかったという口実の元、第二作者の自分、セルバンテスはこれ以上書き進める事が出来ないと中断してしまいます。その次の9章では、この続きを発見し、明らかにします。まずアラビア語の原典発見の経過が明かされます。つまり、ある日トレードのアルカナ商店街をぶらついていたセルバンテスは、1人の少年が数冊のノートを絹商人に売ろうとしているところを目にとめ、「読むことが大好きで、よしんば道に散らかっている紙片でも読む癖が会った」セルバンテスはその少年のノートを手にし、そこでアラビア語が書かれているのを認めると、スペイン語のできるモーロ人に見てもらうと、なんと「アラビア人史家シーデ・ハメーテ・べネンヘ−リによって記されたドンキホーテ・デ・ラマンチャの物語」である事が判明した。そしてそのビスカヤ人との対決のシーンがかかれているので、モーロ人に頼んで1ヶ月半あまりをかけ約してもらったのが以下に続く物語である…と言って中断していた決闘シーンを再開するのです。
つまり、史実としての古文書があって、史家シーデ・ハメーテ・べネンヘ−リがアラビア語でドンキホーテをかき、それをバイリンガルのモーロ人がスペイン語に訳し、それを第2の作者セルバンテスが編集する事によって、スペイン語版「ドンキホーテ」が成立した事になっているのです。
 この事はどう言った意味を持つのでしょうか?ドンキホーテの作中でも、セルバンテス(べネンヘ−リ)はドンキホーテ主従が裕福なドン・ディエゴ・ミランダ家に招待された時、その家の様子について「原作者は、細かく描写しているが、翻訳者である自分はあれやこれやのコマかな様子は黙殺する方がよいと判断した。というのはそうした描写は味気ない些細な事に流れるよりは信実により力を注ぐべきであるという、物語の中心課題に合致しないと思ったからである」と自己の見解をはさんだり、自己の美意識によって取捨選択したりするモーロ人翻訳者は「時として原作者が書いたように訳さなかったといわれている」と書いてあるのです。
そして、べネンヘ−リという人物について、史学者であり、そしてモーロ人であると言う事が注目すべき点だと思われます。べネンヘ−りを、歴史家とする事は、歴史的な事実を重視する義務を背負っている人物として描く事になります。一方でイスラム教徒に対する偏見の記述があるのも見逃せない点です。「もしこの物語の信憑性に何らかの疑いが生じるとしたら、ソレは作者がアラビア人だという点にかかわるものだろう。うそつきであると言うのがあの国の連中の生まれながらの性質なのだから」とか、「モーロ人からはいかなる真実も期待することが出来ない」と書いているのです。一方で「べネンヘ−りはあらゆる出来事において極めて正確な歴史家であった」ともかかれているのですが。つまり、真実を書く歴史家でもある作者は、嘘をでっち上げる事もできる小説家だという事を現しているのではないでしょうか?

■ 遍歴の騎士と、郷士、アマディス・デ・ガウラ
物語の中で騎士のキーワードは核をなすものであります。あおあいて遍歴の騎士であるアマディス・デ・ガウラを手本として旅をするのです。また、そういった騎士道のパロディーものであると言う事も大事なキーワードです。
1590年代にドンキホーテを書き始める前にセルバンテスはスペインで出版されていた40種類にも及ぶ騎士道物語の多くを貪欲に読み漁っていたようです。スペインの騎士道物語はフランス叙事詩にそれを垣間見得る事が出来ます。中世フランスの叙事詩は、フランク国王カール大帝時代の騎士の英雄行為や、アーサー王と円卓の騎士などの物語を含むケルト伝説を歌ったものなどから始まり、それがそのまま後世に受け継がれて行く事になります。日常観点からは全く有り得ない叙事詩的英雄像の騎士道物語。こういう浮世離れした物語世界の主人公の中心人物は騎士と貴婦人というのがお決まりのパターンだったようです。その夢物語的な宮廷恋愛、従者を伴っての世界漫遊の旅、道道で出会うほかの騎士達、あるいは巨人、竜や大蛇などの昔からの象徴的怪物たちとの一騎打ち。騎士の前に立ちはだかるあなどりがたい魔法使い…そういった世界を、現実の世界で体現しようとするのがドンキホーテであります。
次に、郷士について説明したいと思います。ドンキホーテの正式名称は、前編が"才知あふるる郷士、ドン・キホーテ・デ・ラマンチャ"で、後編が"才知あふるる騎士、ドン・キホーテ・デ・ラマンチャ"となっています。
郷士Hidalgoと、騎士Caballero(カバジエーロ)の違いはなんでしょうか?
郷士とは、簡単に説明すると下級貴族ということになります。身分制社会も時代の中で少なからぬ変換をみせていきますが、貴族はさし当たって大きく3ランクに分ける事が出来ます。大公や爵位を持った超上流貴族、騎士、そして郷士です。郷士の家系を決めるのは父親の家系と言う事が大事であるようです。父親が郷士であれば、子は郷士を名乗る事が出来ると言います。逆を言えば母親が貴族で、父親が平民であった場合二人の間に生まれた子供は男女を問わず平民と言う事になります。そして下級と言えど貴族であり、特典がありました。最大の特典は他の貴族同様直接税が免除されたことであります。セルバンテスの生きていた時代には13%の人が免除されていたという歴史家がいるようです。また、刑罰に関しても、郷士に関しては屈辱的な刑罰が免除されるという特典がありました。具体的には、火あぶり、八つ裂き、絞首刑、猛獣類をけしかけるなどの刑は免除されます。同じ処刑でも、打ち首や窒息死などの方法を取られ、重罪で死刑を免れた場合は追放処分。借金を返済しないからといって差し押さえられたりの心配もなかったようです。鞭打ちなどの拷問や徒刑船送りの心配もなかったようです。とはいうものの、そのような特典があるにもかかわらず、具体的な義務や責務があるというわけでもないようです。こういった郷士に対して平民が不満を持っていた事もあるようです。こんな句があります。"郷士なれども金はなし、我らが時代の罰当たり、郷士のみには貧乏がついてまわるものらしい"郷士は貴族とは言うものの、郷士と名乗るものはスペイン中に溢れており、政治的にも社会的にも影響力を失っていたと考えてよいようです。貴族と名のついた、平民とさほど変わりのない存在であったと考えてよいようです。
一方、騎士はどうでしょう。騎士は郷士より高い身分なわけなのですが、騎士の子孫=騎士というわけではないようです。騎士になるためには、最低条件、家系がしっかりしている事。つまりユダヤの"不純な血"が混じっていない事が第一条件であるのです。サンチョも「私は昔からのキリスト教徒です。伯爵になるにはこれで十分」と言っています。また、騎士は行動の人でなくてはいけません。文武両道に通じ、主君に対して忠義を尽くし、品行方正にして威厳を保ち、いかなる時も自制心を失ってはならない。真の騎士はキリスト教倫理を重んじると共に、文武両道を極めてなくてはならないのです。また、騎士を任命できるのは騎士の地位にあるもの、もしくは以前騎士としての活躍の経験があり、現在は騎士道を教える立場にある男性でなくてはならないようです。女王と言えど御ナである限り騎士を任命する事はできないようです。男性であっても聖職者や14歳以下のものには他人を騎士に任命する事はできないのです。
ドンキホーテはというと、騎士の称号を受けていないのに"遍歴の騎士"として冒険に出てしまいます、このことが心掛かりだったドン・キホーテは宿屋の主人に叙任式を司ってもらいます。
とはいうもののドンキホーテの時代に遍歴の騎士と言うものは存在せず、本来の騎士道精神も希薄になっていたと考えてよいようです。15世紀のスペインでは諸国行脚の遍歴の騎士が実在していた事は知られていますが、16世紀半ば以降では時代錯誤もはなはだしかったようです。
■ 魔法
ドンキホーテの物語において、"魔法"と言う言葉、存在はかかせないものであります。
現実の世界で騎士道の夢を体現するドンキホーテにとって、実際の現実が現れた時に、「あれは魔法使いの仕業だったのだ」の一言で夢を壊さないで冒険を続ける事ができるのです。ドンキホーテには魔法使いという語が103回、魔法と言う語は50回、魔法にかけるという語は127回使用されているそうです。その頻度からも魔法の重要性を窺い知る事が出来るのではないでしょうか。
そして何かと邪魔をする魔法使いはドンキホーテにとって恐ろしいライバルです。 
これも有名な羊の群れを大軍だと思って挑んで失敗してしまった時に言った台詞です。だから言ったじゃないかといったサンチョに対して、「あれは魔法使いがやったのだ」と返すのです。(読む小船の冒険)そのようなシーンはたくさんでてきます。
また、途中ドゥルシネ−アに会おうとするドンキホーテに困ったサンチョは、自らも魔法を使います。すなわち、道行く見た目もあまりよろしくない田舎娘をドゥルシネ−アだといいはり、魔法にかかってこんな姿なのだ!と言い張るのです。
■ サンチョとドンキホーテ
ドンキホーテといえば、サンチョ。サンチョと言えばドンキホーテ…ふたりの主従は物語を通してお互い欠かせない存在となっていきます。物語の中でドンキホーテの一番はじめの冒険の時と、サンチョが領主になる部分以外二人は一緒に旅を続けます。セルバンテスの最初の意図では、ライオンの心を持つ狂人の主人公に対位法的な対象として頭の弱い臆病者を供として与えようというつもりだったように見えます。実際ひょろ長い主人に対しふとっちょのサンチョは対称的です。サンチョには常識もあるし、明確な判断力もあります。経験によって慎重さを身につけているし、負けるとわかっている無益な戦いは避けます。腰抜けというわけではなく、主人よりも用心深い戦士なのです。しかし一方で子供っぽくて単純であり、愚かな面もあります。主人の魔法を信じたり、だまされたりもします。また後半になるにつれ、サンチョはドン・キホーテ化して行く傾向があります。
またサンチョは主人への愛情、思いやりを見ることが出来ます。サンチョは時に主人の常軌を逸した行動を葉っきりと認識し、いつかは主人を捨てて家に帰ろうと決意するものの実行に移すことは出来ません。主人の狂気を知りつつも、そしてそれに不満を覚えつつも、同時に主人の高潔さ、理想、知識、勇気などに畏怖の念、さらには尊敬の念すら抱いているのです。後編で森の騎士と名乗る人物の従者とお互いの主人を批評し会うシーンがあるのですが、そこでサンチョは主人の事を次のように言います。「わしの主人にはずる賢いところなんかこれっぽっちもないね。それどころか澄んだ水のような魂の持ち主さ。皆によい事をしようと思うばかりで、悪さなどしようにも出来ねえ。まぁ、悪気ってものがからっきしねぇのよ。あの人にゃ子供だって、真昼間を夜だと思いこませる事が出来るのさ。わしはあの人のそうした無邪気なところが、自分の心の臓のように好きでたまらないのよ。だからあの人がどんなにばかげた事をしでかしても、見捨てていこうなんて気にはとてもなれねえ。」
ドストエフスキーが言った言葉に、この世で最も純粋な人は二人。ひとりはドンキホーテ、そしてもう1人はイエス・キリストだ―――と言ったといいます。ともかく、サンチョは主人の狂気に腹を立て、あきれる一方で、感心し、主人を誇りとしているのです。
さて、ドン・キホーテは最期、銀月の騎士との一騎打ちに破れ(この銀月の騎士とは、彼を正気に戻そうとした学士、サンソン・カラスコなのですが)条件として故郷に帰り、大人しく暮らす事になるのですが病に倒れ、その床で狂気から正気に戻りついに最期の時を迎えるのですが、それを知ったサンチョはさめざめと泣いて主人の死を嘆きます。彼をこのような自体に追いやった学士や床屋たちでさえも、騎士道の世界が待っていると慰めるのです。
■ 思い姫ドゥルシネーア
架空の人物であるこのドゥルシネ−アは、ドンキホーテにとって一番大切な存在といっていいかもしれません。この思い姫のために彼は冒険して、何かあるにつけてはドゥルシネ−アの事を口にします。
例えば何か冒険をして手柄を立てた場合、相手にドゥルシネ―ア姫に報告して欲しいと頼みます。
「拙者は冒険を求めて諸国を遍歴する騎士にして、たぐいなき佳人ドゥルシネ―ア・エル・トボーソのしもべ、ドン・キ・ホーテ・デ・ラマンチャと申すものでごzる。そして御身に捧げた奉仕の返礼としてただ一つの望みを申し上げれば、それは御身にこれからエル・トボーソの地へと赴いて頂き、拙者に代わってわが思い姫の前で、御身の解放のために拙者の成した手柄を報告して頂く事でござる」と言った具合です。
また、公爵夫妻のいたずらで、田舎娘に姿を変えたドゥルシネ―アの魔法を解くにはサンチョが自らの尻に三千三百回の鞭打ちをしなければならないと言った条件を信じたドン・キホーテはそれ以後執拗にサンチョに鞭打ちを迫ります。また、贋作ドンキホーテを隣人から「ドゥルシネーアの恋から冷めている騎士だ」と聞いた時怒りを露わにしてこういいます。「拙者がドゥルシネ―ア姫を忘れたとか申す者はどこのだれであれ、それが真実からほど遠い事をこの剣にかけても教えて見せようぞ!!比類なきドゥルシネ―ア・デル・トボーソは忘れ去られるようなお方でもござらぬし、ドン・キホーテの中に忘却が入りこむような余地もござらん。なんとなれば、ドン・キホーテのかかげる標章は操の堅さであり、その使命は、あの方を優しくお守りする事だからじゃ!!」
彼にとってドゥルシネ―アの存在は最も重要な存在であるようです。また、最後、銀月の騎士との一騎打ちでも、銀月の騎士が勝った場合、銀月の騎士の思い姫がドゥルシネ―アよりも遥かに美しい事を認めるように、さもなくば命はないと迫り、ドン・キホーテが敗北を喫した際も「ドゥルシーネア・デル・トボーソはこのよで随一の美姫にして拙者こそ、地上で最も武運つたなき騎士でござる。拙者の弱さゆえに、この真実を曲げることはあいならぬ。さあ騎士よ、拙者の名誉を打ち砕いたからには、その槍で拙者の生命をも奪い取ってくだされ」と、死を恐れることなく、ドゥルシネ―アの名誉を守ろうとするのです。

5、贋作ドンキホーテ
後編の59章執筆あたりで、ドンキホーテの贋作事件がまきおこります。1614年の秋、マドリッドの書店に突如姿を現したのはトルデシーリャス生まれ、学士アロンソ・フェルディナンデス・アベリャネーダなる人物によって書かれたドンキホーテの第2巻でした。この贋作もやはり飛ぶように売れたようなのですが、買った人はどこかおかしいと小首をかしげる事になったようです。
贋作のドンキホーテの世界は殺伐とした凶暴の印象があります。狂人ドンキホーテは相手のわずかな言葉に敏感に反応して瞬時に怒りを噴出し、いささかの容赦もなく剣を振りまわすのです。偽ドンキホーテが剣を抜く時はいつも単なる威嚇ではなく最初から殺す気で剣を打ち下ろしてきます。狂人であるだけに手加減を知らないなんとも凶暴で危険極まりない人物になっています。最後彼は精神病院に入れられてしまいます。
そこの精神病院で、頭の狂った司祭に手相を見てやると言われ手を差し出したドンキホーテは司祭に指を噛み切られそうになり、口の中を血だらけにして司祭がけらけら笑う・・という陰惨なシーン描写があります。
この内容にドンキホーテの作者であるセルバンテスはもう本当に許せなかったようです。
また、贋作の中でもセルバンテスの悪口なども出てきています。セルバンテスの左手の不自由の揶揄をしたり、気力だけは若者並にさかんな老兵、口先ばかりが達者である。寄る年波にすっかり気難しくなり、ことごとくが気に入らず、しかるがゆえに友人も一人もいない…など執拗なまでにセルバンテスに攻撃をします。
そして本物のドンキホーテで"名前を思い出したくないがラマンチャのさる村に…"とドンキホーテの生まれた村を言っているのに対し、アベリャネーダは"郷士にして騎士、ドン・キホーテ・デ・ラマンチャのうまし故郷、アルガメシ−リャ村"と書いてあるのです。あえて伏せていた村をいともやすやすと決めつけてしまったのです。
また贋作では思い姫ドゥルシネ−アという存在が排除されています。これにはドンキホーテの失恋が贋作にかかれているのです。ドゥルシネ−アにやむにやまない恋心をつづった手紙を書くのですが、あまりに古風めいた、難しい内容にドゥルシネ−アであるアルドンサ・ロレンソは「訳のわからない事をいわないでくれ」と言った内容の返事を書きます。それにショックを受けたドンキホーテはこの世にまたとなき冷酷な手紙と写るのです。
その変わりに旅宿であった売春婦あがりのガリシア女バルバラをアマゾン族のセノビア王女と崇め奉って連れまわす事になります。しかしバルバラはボロの服を着た見にくい女性なのです。
そして、この贋作には宗教的な要素があちこちにちりばめられています。序言で突如聖トマスは第三十六問題、第2項、2において聖ヨハネ・ダマスケヌスの説を引き…と説き始めます。なおも「聖グレゴリオがヨブ記の道徳的釈義書の第31巻、31章において…」と手馴れた感じで専門書からの引用が繰り返されるのです。また、偽のドンキホーテは最初正気に戻っていて、自分の村で過ごしているところから始まるのですが、正気に戻ったドンキホーテが読んでいるのは騎士道物語などではなく、福音書、聖者の書簡集他宗教書ばかり。時刻が来ればロザリオをかかげ聖母祈祷書を携えてミサへと足を運ぶのです。また宗教的な挿話も挿入されています。1度修道士を目指した青年が、遊びを忘れられず、修道者の道を捨てた若者が恋に落ち子供にも恵まれ幸せな暮らしを送っていたところに、イスパニア兵を家に泊めたところ、イスパニア兵はその妻があまりに美しかったため、暗がりの中夫と偽って関係を持ってしまいます。翌日その事に気付いた夫が逃げて行ったイスパニア兵を追いかけて殺し戻ってくると妻は知らぬ事とは言え不義を犯してしまったと井戸に見を投げてしまった後であった。その惨劇に夫は運に見放された父親と幸薄い母から生まれた子供など生きている意味はないと、自分の子供を打ちつけて殺し、自らも井戸に見を投げる。これは修道士の道を捨てたものの末路だ…といった挿話や、他にも聖母マリアの慈悲によって道をあらためなおす話など、宗教要素があちこちにちらばっているのです。物語にはドミニコ会の要素があり、アベリャネーダはドミニコ会士なのではないか、という説が有力なようです。ちなみに彼の正体はいまだにわかっていません。
さて、贋作に対するセルバンテスの怒りは尋常ではなかったようです。セルバンテスのドンキホーテ第59章で、ドンキホーテは隣人の「ドンキホーテの後編をもう1章読もう」という声を聞きます。そして贋作のドンキホーテを本人であるドンキホーテが読むということがおきます。すでに完結した物語である偽ドンキホーテ。これから赴こうとしていたサラゴサでの馬上槍試合にすでに偽者が実行したのみならず、その書物が巷に流布しているという事実にドンキホーテは怒りを露わにします。そして「拙者は断じてサラゴサへ足を踏み入れぬようにいたそう。そうする事によってその新しい物語の作者の偽りを世間にさらしその書くところのドンキホーテは本物の拙者ではないと知らしめるのであります。」と言ってバルセローナに向かう事にするのです。
セルバンテス自身59章以降で執拗に贋作に対して攻撃をします。
地中海にやってきた主従に対し騎士の一団が彼らを迎え入れる祭、「私どもが近頃、贋作で目にしました偽者、まがい物とは打って変わり物語作者の華、シーデ・ハメーテ・べネンヘ−リが書くところの正真正銘、真実無比、掛け値無しの勇者、ドンキホーテ・デ・ラマンチャ殿、ようこそ当地に参られました。」と敵愾心むきだしに、自我自賛をしています。ドンキホーテと初対面であるはずの騎士団であるはずなのに本物と見とめる程に偽者とはちがう品性と風格に格段の差がある事をしめし、誰が見ても間違える事はない事をセルバンテスは言いたいようです。また、機会を見ては誹謗中傷をこの贋作に対して向けます。こんな贋作はやがてはと殺される豚のごとく必ずや最後の日を迎えるであろうとか、悪魔たちの会話のシーンで贋作をボールに見たてて遊んでしまいには「そんなものとっとと俺の目の前からかたずけろ。地獄の奈落の底へ叩きこむのだ。これ以上目に触れさせたくない。悪いのなんのって、わざとおもっとひどいやつを書こうとしてもとてもこのことにも及びもつかんくらいだ。」とまで言っているのです。

まとめ。
ドン・キホーテはセルバンテスが悲観のどん底にあったときに、そしてスペインと言う大国の衰退期に書かれました。己の人生と、そしてスペインの運命を重ね合わせ、無茶な行為をするドン・キホーテを、時代錯誤の老人とみる、その一方で同情と、親しみを込めて書いたようにかんじます。また、巷に溢れる騎士道物語を一蹴するために…という目的で書いたと述べられているのですが、その騎士道物語に対しても、ところどころ滑稽じみたパロディの中に、いとおしみも感じられます。贋作が出た時に目の色を変えて攻撃したセルバンテスは、ドンキホーテをやはり愛していたのだと思うのです。ドン・キホーテはいまや、ある種の固定的なイメージを持っています。そして、それは物語から飛び出してしまった特殊なキャラクターとなっています。頭のおかしい老人であるドン・キホーテではあるけれど、自分の信じた道を、時代遅れとは言え騎士道精神にのっとり行動して行く。こういった特徴が全世界を通じていまなおベストセラーでありつづける原因なのではないのでは?と思いました。ドン・キホーテという個性的なキャラクターは、時代を超えて、この先も愛されつづけるでしょう



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